私が社会人5年目に転職した会社は地獄でした。
そんな会社を辞めてから早2年。当時がトラウマ過ぎて記憶の彼方に封印していたのですが、最近ようやく過去のこととして向き合えるようになりました。
当時私は間違いなく会社に洗脳されていました。そして恐ろしいことに、当時の私はその事実に全く気が付きませんでした。
洗脳は怖いです。着実に人生を蝕みます。
この記事では、そんな会社に転職してしまった私が、洗脳され回復に至るまでのことを話したいと思います。
最近家を整理していたら、当時勤めていた会社の大量のメモが出てきました。いまだに当時の恐怖がフラッシュバックします。
集団圧力をかけるための集合研修
入社後は集合研修と称して、同期入社の中途社員9名と共に2ヵ月間の研修期間がありました。
会社が借りたマンスリーマンションに入居させられ、縁もゆかりもない、他の同期社員しか知り合いがいない土地で2ヵ月間の研修生活。
人を洗脳するときの基本は隔離し集団で行うことだそうです。
隔離することで視野を狭くさせれば、自然と会社の生活に占める割合は高くなります。2ヵ月間もあればそうした生活のベースができてしまいます。研修後もそのベースは簡単に崩れることがありません。
また、集団圧力という言葉があるように、集団の中に身を置くことで反発や反論をさせにくくなります。間違えたり逆らったりすれば集団の中で晒される。そんな恐怖感を植え付けるための集合研修だったと思います。
洗脳にはぴったりの環境が用意され、研修のスタートを切ったのでした。
徹底した理念教育
入社してまず初めに行わされたことは理念の暗記でした。
怖いのは、「理念を暗記しろ」という指示は一度もなかったことです。「社員なら理念は暗唱できて当然」の言葉で紹介された企業理念。毎日の研修開始時には9名の社員からランダムに指名し、理念を暗唱させました。一字一句でも間違えれば集団の中で晒され、嫌でも暗記をするようになります。つまり理念の暗記は嫌々ながらもみな自分の意志で行なっていたのです。誰かの指示でなく、自らの意思で行動をさせることで、マインドコントロールをしていきます。
また、主語が「私」の企業理念は、マインドコントロールされやすいです。「私は社会のため、お客様のために、…します。」2ヵ月もの間、毎日のようにこうした理念や行動規範を、絶対的な正義として意識の底にこすり付けるのです。企業の意図するように行動させやすくなるでしょう。
自宅でやらざるを得ない業務復習
2ヶ月間の研修は、「座学」と「実務」が交互に繰り返されました。座学で1度教えられたことは2度と教えてもらうことはできず、実務時に座学で教えたことができなければ詰められます。
座学では膨大な量の業務マニュアルを見せながら口頭で業務についての説明をされます。この座学研修以外でマニュアルを見ることは許されず、自分ですべてメモを取らされました。
メモの量が膨大なため、座学ではB5のノートにメモを取らされますが、実務時にこの大きなノートを持ち歩くことはできません。実務時にメモがなければ「メモは?座学で教えたよね?」「どうして1回で覚えないの?」「できないならもういいや、後で自分が困るだけだから」と突き放されます。そのためB5のノートに取ったメモを、持ち歩くサイズのメモ帳に書き写す必要があったのですが、この書き写しはもちろん終業後や休みの日に行う必要がありました。
このメモの整理以外にもすべての業務手順を記入して提出するチェックシートがあり、これも当然のように家でやってくることになっていました。終業後は毎日1時間~2時間、休みの日も半日はこの業務復習に時間を費やしていました。必然的に業務時間外でも会社のことを考えることとなり、生活のほとんどを会社のために充てるようになりました。
度を超えた行動監視
座学・実務共に常に指導役の社員の管理のもとにあります。トイレもすべて許可制でした。
実務時には指導役の社員が後ろに立ち、常に監視しています。少しでもマニュアルと異なった手順や言動をすればすぐさま叱責されます。
また、実務の日は始業時に自分の行動スケジュールと目標を発表させられました。行動スケジュールが少しでも指導役社員の思惑と違っていれば否定されました。すべては指導役社員の意図に沿うように行動することを意識せざるを得ず、次第に自分の意思はなくなっていきました。
人を洗脳するときは思考力を奪うのもポイントだそうです。日々の監視や過剰な叱責に私は次第に委縮していき、自分で何かを考えることができなくなっていきました。トイレ掃除の手順までマニュアル化されているような環境では自分の考えはまるで意味をもたず、思考力は低下していきました。
そして自分の考えはすべて否定されるので、自分はなんてダメな人間なのだろうと、自己否定を繰り返すようになりました。
叱責される毎日に、出社に恐怖を覚えるようになる
「叱責されないために業務を覚える」というマイナスなモチベーションは日々の生活を着実に蝕み、何をしていても心は休まらず、仕事のことが頭から離れなくなりました。
1ヵ月も経たないうちに私は常に不安感を抱えるようになり、出社前には動悸と吐き気を催すようになりました。街中で指導役の社員に似ている姿の人物を見るだけで足がすくみ、会社に行くことに異常な恐怖を覚えるようになりました。
本配属後も変わらぬ地獄
そして2ヶ月間の研修が終わる頃、私は毎日消えたいと願うようになりました。
研修後の本配属でも社宅で職場の近くに住まわされました。本配属されてからも自宅で業務復習をしなければならない状況は変わらず、業務中の監視、人前でのきつい叱責は続きました。
他の社員はみんな上司の評価を常に気にしており、「○○部長はこう動くといい評価をしてくれる」「○○部長はこういう発言をすると評価を下げる」など上司がどう思うかを行動指針にして、日々の業務を遂行していました。
研修ですっかり洗脳された私は、何を言われても自分が悪いのだと思うようになり、「すいません」が口癖になりました。自分という人間がなくなり、会社の求める人間になることが人生のすべてになりました。
休みの日はいつも朝から1日中飲酒する、それだけでした。何をする気力も沸かず、この状況を脱却する自己啓発すら取り組むことができませんでした。
毎日消えたい、消えるくらいなら辞めればいいと思うのに、ただでさえ転職回数の多い私が、入社数ヵ月で辞めたら次の仕事なんて見つけられないと思うと辞めることもできませんでした。
心療内科へ通うようになる
出社前は吐くようになり、会社に着くと動悸がしてうずくまって数分動けなくなりました。覇気のない私の様子を見て、上司からは「前の会社、うつ病で辞めたりしてない?」と他の社員もいる前で聞かれました。
私はこれまで、自分はどちらかというと楽観的で、精神的に病むことなど縁のない人間だと思っていました。なのに今は職場でこんな風に茶化されている。「そんなことないです」と苦笑いで返すのが精一杯でした。
そんなある日産業医との面談がありました。「この会社、働きやすいでしょ?やめる人はほとんどいないんですよ」からスタートした産業医面談は何の意味もなしません。産業医面談では意味のあることを何一つ相談することはできず、私は心療内科へ通院するようになりました。そしてこの産業医の発言は大嘘で、実際には社員数400名~500名に対して毎月5名程度の退職者が出ていました。
心療内科には自分以外にも患者さんがいっぱいいて、悩んでいるのは自分だけじゃないと少しだけ安心しました。そしてこの会社に入社して数ヵ月、会社以外の人とろくに関わってこなかったことにこの時気が付きました。
適当に見つけたブラック企業に応募する
そんな日々も限界を迎え、とりあえず面接だけ受けようと適当に見繕った求人へ応募しました。
社宅に住んでいたため、辞める場合は家を出ていかなければなりません。何かしら仕事に就いていないと家を借りるハードルがあがります。私には実家がないので、次の仕事が決まってなければ住む家がなくなる可能性が高かったのです。
ブラック企業からは簡単に内定が出たので、思考力の鈍っていた私は「もうここでいいや、とりあえずやめよう」と現状から逃げ出すためだけに内定を承諾し退職を申し入れました。
上司には心療内科に通っていること、適応障害であることを理由に退職の旨を伝えると、他の社員にはそれをそのまま伝えたようでした。あくまで私のメンタルが弱いということにしたかったようです。
診断書の提出を求められ、わざわざ高いお金を払って診断書を取得したのですが、「コピーして返す」と言われ預けた診断書は返ってくることはありませんでした。
そして上司や先輩は手のひらを返したように監視することや叱責することを辞めました。退職を申し入れた日から最終出勤日までは腫物のように扱われ、針のむしろ状態で過ごしました。
そして転職した会社を1日で辞めた
最終出勤日を迎えた後は2週間ほど休みがあったのですが、社宅だったため引越しをしなければならず、バタバタと日々が過ぎていきました。
そんな中転職先の会社から入社前の面談という形で呼び出しがありました。なんだか面接の時とは違うぴりついた様子に「おや…?」と感じていると、上司となる予定の人物から「教えたことは1回で覚えてほしい」と言われました。
洗脳時に何度も言われた言葉が過剰に引っ掛かりました。たしかにそれは大切で当たり前の要望かもしれません。でもあの地獄の研修の日々に何度も言われ自分を苦しめ続けた言葉にこんなすぐに遭遇するとは思いもしませんでした。
そして入社日。10分前に来るよう言われていたためその時間に出社すると、入社の手続きや書類の記入など一切ないままに「研修中にできるようになってほしいこと」を怒涛のように話され、出社1時間もしないうちによくわからない土木作業をさせられていました。
何のためにやっている作業なのか全くわからず、工具の扱い方も一切説明されず、ただただ重労働を次々に指示されました。
なにがなんだかわからないうちに1日が終わり、帰宅しました。そして退職代行会社に依頼して翌朝に連絡をしてもらい、1日で会社を辞めました。
予想していた未来じゃない
ずっとこんなはずじゃなかったと後悔し続けました。自分が新卒で会社に入社したとき。新卒の会社を辞めて転職したとき。そして社会人5年目に転職したときだって、私が27歳で4社目となる会社を1日で辞めて無職になることなんて全く予想もしていませんでした。
どちらかというとどの瞬間も、新しい会社でキャリアを築くことを思い描いて、不安もありながら希望を持っていました。
それがどうでしょうか。どこへ行ってもいつも人に嫌われないように自分の気持ちを隠して、言われたことをいつまでも引きずって、言われてすらないことに勝手に傷ついて。そうやって色んなことを気にしていたら職場に居づらくなって、将来のことを考えているフリをして目の前の現実から目を逸らしていました。その時その時で必要な選択を取ってきたつもりだったけど、実はそれは自分の本心ではなかったのかもしれません。世間体や人からどう思われるかを最優先に選んだ職を転々としても身につくことはなく、何もできるようにならないまま、何をやりたいのかすらわからないまま自分はもうすぐ28歳になる。結局手に入ったのはゴミのような職歴。
どうしようもない状況に自己嫌悪で気が狂いそうでした。本当はもうすべてを投げ出したい。でもそんな勇気もなく、頼れる家族や恋人などいない私はそれでも何かしら職を見つけなければ生活できません。
そして改めて転職サイトへ登録し、100社以上にエントリーしました。毎日3社とか4社とかがむしゃらに面接を受け続け、なんとか内定のでた会社へ入社しました。
そして転職した会社で、少しずつ状態が回復する
入社した会社は正直色々整っているとは言い難い会社です。残業代はつかないし、とてつもなく長時間働かされる日もあるし、ワンマン社長のトップダウン経営だし。
でも基本的に適当な会社で、みんな周りのことはそんなに気にしてないし、上司はメールもろくに打てないし、なんでもかんでも他人事なおじさんがいたり、巨額の投資をしたプロジェクトが破綻寸前だったり。それでも社長は笑ってるし。
嫌なことも当然あるけど、「教えたことは1回で必ず覚えろ」なんて言ってくることはなくて、「別にそれ今日じゃなくてよくない?」とかなんかとてつもなくゆるくて、こんな会社もあるのだとびっくりすると同時に、意外と人生適当でもなんとかなるものだと、あんなに会社に縛られていた日々がバカバカしくなりました。
正直前の会社を退職してから半年くらいは、急に訳も分からず泣きたくなったり、動悸がしたりすることはありました。将来に何の夢も希望も持てず、自分の人生ってこのまま死ぬまで待つだけの消化試合みたいだな…と無気力になることもありました。でも別に誰かに認められる事がすべてじゃない、と諦めがつくと、段々メンタルが不安定になることはなくなりました。
メンタルが安定してくると、資格を勉強したり、業務のことも自主的に学んだりするようになりました。何かがわかったりできるようになるとそれが嬉しくて、新しい趣味にもチャレンジしたり、映画やドラマもたくさん見て、好きな作品もたくさんできました。自分の人生は自分のものなのだからと、他人と比べることもなくなり、あんなに抱いていた劣等感を、いつのまにか抱かなくなりました。
将来への不安がなくなったわけではありません。むしろ将来の安定でいうと、洗脳されていた会社に勤め続けていた方がよっぽど人生は安泰だったでしょう。それでも私は間違いなく今の方がいいと思えます。
家に帰って見たいドラマがあって、休みの日にしたいことがあって、そのために仕事をなんとなくやり過ごして、そういう日々が平和で幸せです。別に誰にも認められなくたって、自分が楽しいと思える日々は過ごせるのだと、そんな風に思うことができるようになりました。
私の人生は、会社ではなく私のためにある
私は誰かに認めてもらうために生きることを辞めました。その代わり自分で認められる生き方を大事にしようと思うようになりました。自分を大事にすることは、一般的な価値観や世の中の当たり前や誰かの意見ではなくて、他でもない自分の意志で人生を選択していくことだと思います。
そうして、そんな風に考えることができるようになると、私の「会社のためにこう生きなければならない」という洗脳はいつの間にか解けていて、あの洗脳されていた日々も自分の人生の一部分なのだと認めることができるようになりました。